張禧嬪(チャン・ヒビン)を自害させたトンイの告発/朝鮮王朝秘話4

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死罪の最終決定書

さらに、粛宗の言葉が続く。
「ああ、余が世子の事情を考えないはずがない。大臣やその他の臣下たちが世子のために尽くそうとする誠意がわからないわけではないが、十分に考えた結果、ここまで事態が及んでしまったからには、この処分をしないと他に道がない。ゆえに、余の意志を持って、左右の臣下に命令する次第である」




これは、まさに「張禧嬪を早く自害させよ」というものである。死罪の最終決定書と言ってもいいだろう。
粛宗は張禧嬪に死罪を命じたが、大臣たちが猛反対した。なぜかと言うと、張禧嬪が世子の母親だからである。世子は1688年に生まれているので、このときは13歳になっていた。
次代の王となる世子の母親を自害させる……官僚たちが素直に従うはずがない。粛宗は数多くの反論を受けた。しかし、粛宗は反対されればされるほど強硬になるという性格で、「もうすでに余が決めたことである」と断をくだした。それによって、張禧嬪は自害せざるをえなくなった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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