張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ王妃になれたのか/朝鮮王朝秘話1

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粛宗が発した究極の言葉

朝鮮王朝時代には、地位のある人が妾を持ったりした。それでも正妻は絶対に嫉妬してはいけないという戒めがあった。
なにしろ、当時の法律によると、夫が抱えている妾に嫉妬しただけで妻は離縁されても文句が言えなかったのである。
粛宗はそれを根拠にして「とにかく仁顕王后が嫉妬深くて耐えられないので、廃妃(ペビ)にする」と宣言した。
その結果、仁顕王后は寂しく実家に帰されてしまう。
すぐに粛宗はまた高官たちを集めて、「今、王妃の座が空いている。これでは国が安定しない。民もみな新しい王妃を求めている」と言いだした。




とにかく粛宗は話が多い王であり、「朝鮮王朝実録」の中でもしゃべりまくっている。おそらく歴代王の中で一番言葉が多い王であったことだろう。
そんな彼から出てきた究極の言葉が「張禧嬪を王妃に昇格させたい」ということだった。こうして張禧嬪は、一介の女官から側室を経て王妃になったのである。
とはいえ、王妃でいられたのは5年にすぎなかったのだが……。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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