張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ王妃になれたのか/朝鮮王朝秘話1

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待望の王子が誕生

当初、仁顕王后は張禧嬪のことを「主上(チュサン/王のこと)にあれだけ寵愛されている女性だから」ということで、ひいき目に見ていた。しかし、粛宗が完全に張禧嬪に惚れ込んで仁顕王后のもとに通わなくなってきてからは、かなり厳しい対応を取るようになった。
「朝鮮王朝実録」には、仁顕王后が張禧嬪のふくらはぎを鞭で叩いたという記述もあった。それくらいに張禧嬪を警戒したのである。
そんな張禧嬪は1688年10月に、粛宗が待望した息子を産んだ。それが、後に20代王になる景宗(キョンジョン)だ。
生まれてから2カ月半後に、粛宗は、長男を「元子(ウォンジャ)」にしたいと言った。本来、王の正式な後継者は「世子(セジャ)」なのだが、多くは5歳くらいのときに指名される。それ以前に、世子になる筆頭候補が元子なのである。
粛宗は、「生まれたばかりの長男を元子にしたい」と宣言するが、高官たちから「それはなりません。仁顕王后はまだ若くて子供を生む可能性があるのに、なぜ、側室が産んだ王子をいきなり元子にするのですか」と大反対された。




もし仁顕王后に息子ができた場合、正室が産んだ嫡男が世子になれないという事態になってしまう。高官が反対するのは当然のことだった。
ところが粛宗は、「余が決めたことだから」と強引に押し切ってしまう。さらに、1689年4月、粛宗は突然高官を集めて、「仁顕王后はあまりにも嫉妬が強すぎる」と露骨に非難してしまう。(ページ3に続く)

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