『オクニョ』に登場!明宗(ミョンジョン)を早死にさせた文定(ムンジョン)王后

このエントリーをはてなブックマークに追加

我が子の命まで

文定王后は、仏教の保護を死ぬまで願っていた。
明宗はどう対応しただろうか。亡き母の意思をくんであげたのか。
否である。
ようやく絶対的な王として君臨できるようになった明宗は、国の方針である崇儒排仏(儒教を崇めて仏教を排斥すること)にこだわった。




彼は政治的にも一本立ちしたのである。
権力欲に取りつかれた文定王后が亡くなったあと、庶民は明宗の善政に期待した。しかし、気苦労の絶えなかった彼は、母の死の2年後に、床に伏せるようになった。
1567年、まだ33歳だったのだが、明宗はそれ以上生きられなかった。
悪政を繰り返した母に生気を奪われたと言っても過言ではない。典型的な悪女だった文定王后は、我が子の命まで縮めてしまったのだ。

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(文定王后編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(明宗〔ミョンジョン〕編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(尹元衡〔ユン・ウォニョン〕編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(鄭蘭貞編)

固定ページ:
1 2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る