李秀賢(イ・スヒョン)さんが見ていた青い空

このエントリーをはてなブックマークに追加

私たちにできること

強い意欲をもって日本語を学んでいた李秀賢さんだったが、「両国の交易に関する第一人者になりたい」という夢を実現することはできなかった。
母親の辛閠賛(シン・ユンチャン)さんは李秀賢さんが亡くなった1週間後に私にこう語った。
「私は息子にいつも言っていました。どこへ行っても必要な人間になるように……。困っている人がいれば助けてあげるように、と。そう言ってきました」




「私は秀賢を見ながらいつも夢を見ていたんです。秀賢は一体どんな人間になっていくのか。どんなすばらしいことをやってくれるのか。そのすべてのことを秀賢はたった1回でやりとげてしまったんです。自分の命と引き換えにして。何回生まれても普通の人間ができないことを、息子はたった1回の短い人生でやりとげたんです。でも、秀賢が長生きしてくれればどんなに良かったか……」
李秀賢さんが亡くなって17年。
私たちにできることは……。
決して彼を忘れないことだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

韓国はなぜ分断国家になったのか

朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔1〕

〔総集編〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

固定ページ:
1 2 3

4

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る