朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔6〕

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善隣外交の象徴

明治維新政府が朝鮮王朝に送った国書では、明治天皇を「皇帝」としており、「勅」という言葉が使用されていた。
「勅」とは皇帝の詔勅であり、日本がそれを使うのは明らかに朝鮮国王を「臣隷」とすることを意味していた。従来の慣例をまったく無視したこのやり方を朝鮮王朝が認めるはずがない。




朝鮮王朝にとっては、260年以上も長きにわたって友好関係を築いてきた徳川幕府を倒した新政府など認めたくない気持ちだったのに、さらに「礼」を失する国書を日本が出してきた。
それによって朝鮮王朝は激怒した。
こうして善隣友好関係は終焉を迎え、両国は長く暗い時代に入っていった。
振り返れば、朝鮮通信使が来日していた時代の日朝関係は本当に友好的だった。そういう意味でも、朝鮮通信使は善隣外交の象徴だったと言える(終わり)。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔1〕

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