117年後の戦乱
申叔舟は世宗から9代王・成宗(ソンジョン)まで6人の王に仕え、朝鮮王朝の最高官職である領議政(ヨンイジョン/総理大臣に該当)にまで出世した。間違いなく、15世紀の朝鮮王朝を動かした政治家だ。
その彼が58歳で臨終を迎えたとき、成宗はこう尋ねた。
「何か言い残すことはないか」
申叔舟は、苦しい息の中で声をしぼりだした。
「日本との平和な関係が失われないことを願います」
まさに執念と呼べる言葉だった。
死の間際まで日本との関係を心配していた申叔舟。その遺言を重く受けとめた成宗は、中断していた外交使節の派遣を再開させた。
しかし、肝心の使節たちが海上の風浪の激しさに恐れおののき、かろうじて対馬まで行っただけで、すぐに引き返してしまった。
申叔舟の遺言は生かされなかった。
使節の派遣が途絶えると、お互いに隣国の事情がわからなくなり、何かと疑心暗鬼になってしまう。
豊臣秀吉の命令によって大軍が朝鮮王朝に攻め入ったのは1592年のことだ。申叔舟が世を去ってから、117年後のことだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)