儒教の浸透度が日韓でなぜ違ったか
人間の共同生活のうえでは階級の存在が必須だという思想が儒教にはあり、その理念はまさに、家柄による階級社会を築こうとした徳川幕府に都合が良かった。しかし、科挙は世襲を否定する制度であり、これだけは受け入れるわけにはいかなかった。
つまり、徳川幕府は儒教(特に朱子学)の根本思想だけを採用して、都合の悪い運営制度には目を向けなかった。これが、儒教の浸透度が日本と朝鮮半島で大きく違った理由である。
広く国中から人材を集めるという意味では、科挙は有効な登用試験になるが、硬直化した制度の中では逆の弊害も生まれてくる。朝鮮王朝の政治は、際限なく続いた党争の歴史でもあったが、その原因となったのが儒教一辺倒の思想と科挙ではなかったのか。中世から脱した世界史的な近世社会が、さまざまな価値感を示し始めたときでも、朝鮮半島は相も変わらず儒教にこり固まっていた。
それが、世界の流れに背を向ける結果を生んだのかどうか。
どんなイデオロギーも、理論より運営の仕方が盛衰を分ける。それは世界史が、はからずも証明しているのだが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)