仁祖(インジョ)!何度も王宮から逃げ出した国王

このエントリーをはてなブックマークに追加

国内の反乱では初めて

李适はなにしろ、最強と言われた北方守備部隊を管轄していた。この軍を使って反乱を起こした李适は、王朝軍を次々に破って都の漢陽に迫った。
命の危険を感じた仁祖は、あっさりと漢陽を捨てて、忠清(チュンチョン)南道の公州(コンジュ)に向かって避難していった。




朝鮮王朝は1392年に建国されたが、王が国内の反乱によって漢陽から逃げるのは初めてだった。豊臣軍の朝鮮出兵のときの宣祖とは、事情がまるで違うのである。
李适に率いられた反乱軍が漢陽を占領したのは、挙兵してから19日目の1624年2月10日であった。
最終的に、反乱軍は王朝軍の巻き返しによって敗れ、李适は部下に殺されている。こうして乱は終わったのだが、あっさりと都から逃げ出したことで、仁祖の評判は非常に悪くなった。(ページ4に続く)

貞明公主!結婚式での有名なエピソード
https://goo.gl/VjwFvB

歴史解説!仁祖(インジョ)と貞明(チョンミョン)公主の確執
https://goo.gl/Imwzll

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(16代王・仁祖編)

綾陽君(ヌンヤングン)とは誰なのか?『華政(ファジョン)』の登場人物

ページ:
1 2

3

4

関連記事

  1. 光海君(クァンヘグン)が王になった特殊な理由とは?

  2. 光海君を廃位にする根拠になった大義名分を検証する!

  3. 仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

  4. 光海君と仁祖のライバル物語1「即位」(歴史編)

  5. 光海君(クァンヘグン)!再評価される暴君

  6. 光海君と仁祖のライバル物語2「外交」(歴史編)

  7. 『華政(ファジョン)』に登場!光海君(クァンヘグン)の実像〔第4回〕

  8. [再掲載]「華政」に登場!流刑地で世を去った光海君(クァンヘグン)

  9. 光海君と仁祖のライバル物語5「失政」

PAGE TOP