最悪の暴君
仁祖は、14代王・宣祖(ソンジョ)の五男である定遠君(チョンウォングン)の息子で、弟が綾昌君(ヌンチャングン)でした。
その綾昌君が、光海君の王位を脅かそうとした罪に問われて死罪になっており、弟を殺されたという個人的な恨みがありました。
臨海君や永昌大君にしても、骨肉の争いの末に殺されており、光海君と大北派に恨みを持っている人は多かったのです。そうした恨みをうまく吸い上げて仁祖はクーデターを成功させました。
以後、王宮を追放された光海君は、仁祖の意図によって「最悪の暴君」に仕立てあげられました。暴君といえば、10代王・燕山君(ヨンサングン)があまりに悪名が高いのですが、光海君も同様だというわけです。
近年になって歴史の研究が進むと、光海君は暴君ではなくて、むしろ名君であったという声が起こってきます。そのあたりをもう少し説明しましょう。(ページ4に続く)