光海君(クァンヘグン)と臨海君(イメグン)!兄弟同士の骨肉の争い

このエントリーをはてなブックマークに追加

悪評がさらにひどくなる

最終的に臨海君は解放されたが、敵の捕虜になったというトラウマから、彼は酒に溺れるようになった。たびたび暴力沙汰も起こし、自分の評価を高めるどころか、逆に悪評がさらにひどくなってしまった。
これでは、世子の座を弟の光海君から奪うのは無理だった。
しかし、朝鮮王朝に影響力を持つ明(中国の大国)は、「長男を世子にしないのはおかしい」という理屈をつけて、光海君の世子決定をなかなか認めなかった。




1608年、宣祖が世を去って光海君が15代王になった。
明は使節を派遣して朝鮮王朝の現状を確認しようとした。
「臨海君が騒動を起こしたら困る」
そう考えた光海君の一派は、臨海君を無理に流罪にしてしまい、翌年に殺害した。
こうした骨肉の争いは、王位継承の際に何度も起こっているが、光海君に弁解の余地はないかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(15代王・光海君編)

光海君(クァンヘグン)!再評価される暴君

「華政」に登場!流刑地で世を去った光海君(クァンヘグン)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(仁穆〔インモク〕王后編)

固定ページ:
1 2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る