康熙奉の朝鮮王朝秘話!英祖と思悼世子の確執5

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朝鮮王朝の王統を守るため

息子の死が確認された当日に英祖は冷静だった。

しかも、罪人扱いしていたのに、死が確認されるとすぐに“思悼世子”という諡を贈っている。

これは“世子を思い、その死を悼〔いた〕む”という意味だが、ここまでりっぱな諡を用意しているくらいなら、なぜ息子の命を救わなかったのか。

英祖にしてみれば、朝鮮王朝の王統を守るためにやむをえなかったという気持ちが強かったかもしれない。




朝鮮王朝の歴代王の中では10代王・燕山君(ヨンサングン)と15代王・光海君(クァンヘグン)という2人の王がクーデターによって追放されているが、思悼世子もそこに名を連ねないようにするために、あえて英祖は泣いて思悼世子を死に至らしめたという見方もできる。

あまりに手回しよく“思悼世子”という諡を用意しているところに、英祖のただならぬ決意を感じ取ってしまう。(ページ3に続く)

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