康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史8」

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第8回/高句麗の滅亡(後編)

666年、高句麗(コグリョ)に衝撃が走った。なんと、救国の英雄だった淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)が、惜しまれながら息を引き取ったのである。その瞬間が、高句麗の滅亡の始まりだった。

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一枚岩になれなかった高句麗

高句麗にとって致命傷だったのは、後継者が育っていなかったこと。淵蓋蘇文の能力はあまりにも抜きんでていたが、彼のおかした唯一の失敗は、後を継げる人材を見つけられなかったことであった。

偉大なる指導者を失った後の高句麗は、一枚岩になれなかった。実際、淵蓋蘇文の息子たちの間で莫離支の座を巡る内紛が起こり、戦意を失って亡命する者まで出始める始末だった。

多くの戦いを勝ち続けた高句麗だが、それは英雄の下で一致団結した結果であり、まとまりを欠いた時点で国の行く末は決まっていた。

668年、新羅・唐連合軍の前に宝蔵王は降伏。淵蓋蘇文が死んでわずか2年で高句麗は滅亡した。

共通の敵を倒した連合軍だが、唐が高句麗や百済の領地を支配下に置こうとしたために、両者の仲は険悪になった。

その中で、新羅は高句麗や百済の遺民たちをうまく取り込んで力を強め、なんとか唐を朝鮮半島から追い出して、朝鮮半島初の統一国家となった。(ページ2に続く)

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