康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人13」

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関東の武士の先祖は?

高麗郡そのものは、1896年に入間郡と合併になって、その郡名がすっかり消えてしまった。

ただし、高麗村と高麗川村という二つの村があったのだが、1955年に合併して日高町になり、1991年に日高市に移行した。

ただし、高麗川、JR「高麗川」駅、西武鉄道「高麗」駅のように、川や駅にまだ高麗の名が残っている。

さらに、気になることがある。




高麗郡が創設されて1799人の高句麗人が移住してきたが、その末裔たちはどうなったのだろうか。

高麗郡の創設から300年以上が過ぎると、馬の扱いに慣れた武士が関東に多く現れるようになった。彼らの先祖を辿っていけば、おそらく若光の一団に行き着くのではないだろうか。

そんなふうに想像してみると、若光の影響力が関東に強く残ったことがうかがえる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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