康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人8」

このエントリーをはてなブックマークに追加

fkUlmGEYF8jfDIF1470708160_1470708194

JR新大久保駅の構内に李秀賢さんと関根史郎さんの顕彰プレートが設置されている

象徴はチャレンジ

同じホームページの中で、1998年7月に行った夏休み旅行のことを書いている。この旅行はマウンテンバイクに乗って韓国を一周しようとしたもの。友人と一緒に4人で出発している。

 

「自分の国をまわってみると、外国に負けない魅力的な場所もあるし、苦労して回るだけの価値があると思う。そのうえで、外国に行けば、韓国人としての自信も芽生えるだろう。とにかく、何ごともぶつかってみなければならないと思う。それでも駄目なときがあるければ、やってみようという気持ちをもつことがとにかく重要じゃないだろうか。最善を尽くせば、結果はそれほど重要ではない。最善と結果の差は、自分に不足している能力だけだ。しかも、自分にどれだけ能力が不足しているかがわかれば、再びチャレンジすればいいだけの話。まだ僕は若いんだから。僕らの象徴はチャレンジだ」




 

李秀賢さんは強調していた「チャレンジ」の具体策として日本にやってきた。1999年8月27日に、赤門会日本語学校に入学願書を出したが、就学理由という欄にこう書いている。

 

「私は国際貿易に関心を持っていて、高麗大学貿易学科に入学しました。そこで、特別な考えもなく、ほとんどの学生と同様に英語圏の国同士の貿易関係について学びました。日本については、多くの人が知っている程度のことはわかっていますが、若干の先入観もあります。それと、『地域研究』という専攻科目を受けながら日本について研究し、発表とセミナーをする機会がありました。その中で、徐々に日本の経済・文化・社会などすべての面に興味を感じ、特にわが国と日本との交易関係に強い関心を持ちました」(ページ4に続く)

固定ページ:
1 2

3

4

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る