第7回/李秀賢(前編)
2001年1月26日の午後7時15分頃のことだった。場所はJR新大久保駅のプラットホーム。そこで飲酒していた男性(37歳)が、ふらふらして山手線の内回りの線路に落ちた。それを見た2人の男性が、落ちた男性を救おうとして線路に飛び下りた。だが、電車が迫っていた。運転士は非常ブレーキをかけたが、間に合わずに3人が電車にはねられて死亡した。
犠牲者の1人は留学中の韓国人
線路に落ちた人を助けようとした2人の男性。1人は、横浜市の関根史郎(47歳)さんで、自然の風景や動物を撮り続けてきたカメラマンだった。
「仕事ぶりはまじめで、正義感にあふれていた」
誰もが人柄を褒めたたえた。関根さんの趣味は登山で、新大久保のスポーツ用品店に行った帰りに事故に巻き込まれたようだ。
もう1人は誰だったのか。
すぐにはわからなかったが、やがて留学中の韓国人だとわかった。
それが、26歳の李秀賢(イ・スヒョン)さんである。
李秀賢さんは日暮里にある赤門会日本語学校に通いながら、新大久保のインターネットカフェでアルバイトをしていた。通常の勤務は午前中だけなのだが、当日は店のパソコン数台がうまくネットにつながらず、パソコンに詳しい李秀賢さんが修理を続けていた。その帰宅時に新大久保駅で事故に遭った。
知らせを聞いた李秀賢さんの両親が東京に着いたのは、事故の翌日の1月27日夜だった。2人は帰らぬ人となった息子と対面して泣き崩れた。(ページ2に続く)