朝鮮王朝おもしろ人物列伝(文定王后編)

このエントリーをはてなブックマークに追加

権力を握った文定王后

日に日に体調を悪化させていく仁宗。その後も病状が回復することはなかった。一方の文定王后は、王が大変な状態だというのに、見舞いもせずに外出騒ぎを起こして、臣下たちを混乱させた。

1545年7月、仁宗が世を去った。彼の死に関してある1つの可能性がある。それは、仁宗が文定王后に毒殺されたのではないかということだ。




空席となった王の座だが、彼には息子がいなかったため、文定王后の息子である慶源大君が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。ついに、自分の息子を王にすることができた彼女は、仁宗の葬儀を王のものとは思えないくらい簡単にすませてしまう。

新たな王となった明宗だが、彼はまだ11歳と幼かったため、母親である文定王后が摂政を行ない、幼い王の代わりに政治を仕切った。これが大変な悪政で、餓死した民も多かった。絶対になってはいけない人が「女帝」になってしまったのである

文=康 大地【コウ ダイチ】

文定(ムンジョン)王后ほどの悪女が他にいたのか

文定(ムンジョン)王后!悪名高き王妃

中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?

朝鮮王朝の中宗(チュンジョン)はどんな国王だったのか

文定(ムンジョン)王后はなぜ大妃(テビ)になれたのか?

2人の悪女!文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)

固定ページ:
1 2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る