康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓古代史が面白い」渡来人の足跡(中編)

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

渡来人の中で、関東の開発に貢献したのが若光(じゃくこう)である。彼は高句麗の王族で、666年に来日した。当時、新羅と唐の連合軍が高句麗を攻めていた。若光は日本に援軍を要請しに来たのであった。

この海から若光は大磯に上陸した

この海から若光は大磯に上陸した

帰る母国がなくなった

必死の思いで若光は来日したのだが、日本の朝廷は高句麗の依頼に応じなかった。663年に白村江の戦いで大敗して、新羅・唐と関わるのはもうコリゴリだった。

若光が日本で失意の日々を過ごしている間に、高句麗は668年に滅んでしまった。若光は母国を失ったのである。

多くの高句麗人が難民となって日本に押し寄せてきた。若光にはもう帰るところがないので、彼は日本で骨を埋める覚悟を決めた。

よほど才能に恵まれていたのだろう。高句麗の王族ということで出自も良かった。若光は朝廷の中で出世していった。

703年には、従五位下の官位を受け、外国の王族出身者に授けられる「王(こしき)」の姓(かばね)を賜った。(ページ2に続く)

ページ:

1

2 3

関連記事

ページ上部へ戻る