【『イニョプの道』歴史解説】物語と史実はどう交わるのか【その1】

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外戚との関係に頭を痛めた太宗

 

玉璽を一向に返さない李成桂だが、次第に多くの使者を殺したことを後悔するようになった。そして、自分が慕う無学大師(ムハクテサ)が説得にくると、ようやく都に戻り、太宗に玉璽を渡して隠居した。以後、李成桂は政治に関わらず、静かな余生を過ごした。

李成桂から玉璽を取り戻した太宗は、ようやく王としてしっかりと政務を行なえるようになった。しかし、彼にはもう1つ悩みがあった。

それが、政治中枢に食い込もうとする外戚たちの存在だった。

『イニョプの道』第7話で、太宗が外戚を処罰しようとするセリフや態度を見せるが、これは史実でも同様である。

太宗は1人の正室と9人の側室を娶り、29人の子供を儲けた。特筆すべきは、四男四女を生んだ正室の元敬(ウォンギョン)王后だ。

名家出身の元敬王后は、高麗王朝時代だった1382年に太宗(当時はまだ李芳遠)の妻となった。上昇志向の強かった彼女は、太宗の即位に大きな力となった。前述した鄭道伝の暗躍を事前に察知したのも彼女の功績だった。




こうした功績も大きく、1400年に芳遠が太宗として即位すると同時に王妃となった。太宗と元敬王后の関係が冷めていくのもこの頃からだ。

太宗は外戚を多く作ることで権力を分散させて王権を強化しようと考えると、多くの側室を娶った。しかし、これが元敬王后の嫉妬と不平を煽る結果となったのだ。

一方、太宗側から見ると、元敬王后の兄弟が権力を握るために、幼い王子たちに取り入ろうとしたことが気にいらなかった。

夫婦共に大きな不満を抱いていたのだ。

1407年、太宗はあまりにも目に余る元敬王后の兄弟たちを処罰した。当然、一族の失態に元敬王后が廃位になってもおかしくなかった。しかし、太宗は世子(王の後継者)の今後を考えると、元敬王后を王妃の座から降ろすことはしなかった。

このあたりの史実が、作中の太宗の言動に反映されていたのだろう。

 

 

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