【『イニョプの道』歴史解説】物語と史実はどう交わるのか【その1】

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悲しみの「咸興差使」

 

定宗が即位しても実際の権力を握っていたのは、軍事を掌握していた李芳遠だった。定宗は李芳遠を刺激しないように、狩りや趣味に没頭する。こうして、2人の兄弟が権力をめぐって争うことはなかった。

しかし、全ての兄弟が権力を諦めたわけではない。1400年には、王位に野心を燃やした四男の李芳幹(イ・バンガン)が武力で王位を奪おうとしたのだ。しかし、李芳幹の挙兵は軍部を掌握していた李芳遠の前に簡単に鎮圧される。

この一件が終わると、定宗は自ら王位を退いて李芳遠が3代王・太宗(テジョン)として即位する。王位に執着を見せない定宗を、太宗は最期まで大切にした。




しかし、李成桂は太宗の即位を認められなかった。彼は王の証である玉璽を持ち出すと、咸興(ハムン)にこもってしまう……。

『イニョプの道』と史実が交差し始めるのはここからだ。

李成桂から玉璽を取り戻すために、咸興には太宗からの使者が何度も送った。しかし、李成桂は太宗の使者のことごとくを殺してしまう。このことから韓国では、送り出した使者が戻ってこないことを「咸興差使(ハムンチャサ)」と呼ぶようになった。

イニョプの父クク・ユも咸興差使として李成桂の元へ送られていたが、まさに、命がけの任務だったのだ。

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