ドラマ「イ・サン」の描き方
正祖の死後、宮中では「王は貞純王后によって毒殺された」という噂が流れるようになりました。火のないところに煙は立たない、と言いますが、この噂には十分な根拠があったのです。というのは、正祖が亡くなることで貞純王后は得るものが多くありました。しかも、たった1人で臨終に立ち会っており、そのことがまた様々な憶測を生んだのです。かぎりなく「黒に近い灰色」というのが正祖の側近たちの実感です。
実際、正祖が亡くなったあと、貞純王后はやりたい放題でした。正祖の息子が10歳で23代王・純祖(スンジョ)として即位しましたが、未成年であったために、貞純王后が王族の最長老という立場で摂政をしました。
すると、彼女は正祖が重用した大臣たちをやめさせて、正祖が進めていた改革をつぶしてしまったのです。それだけではありません。政敵にカトリック教徒が多いという理由で、貞純王后はカトリック教の大弾圧を行なって多くの人を虐殺しました。
結局、貞純王后は摂政を4年間行なって1804年に隠居し、翌年の1805年に亡くなっています。
そのあとの朝鮮王朝は、外戚(純祖の正室の実家)が政治を牛耳り、近代化が遅れて衰退への道を突き進みました。正祖がもう少し長生きして政治改革をやりとげていれば、違う道をたどることができたのでしょうが、この運命だけはどうしようもありません。
その正祖は、常に貞純王后を警戒していました。真相は藪の中ですが、状況証拠を積み重ねていくと、やはり貞純王后が正祖の命を狙ったと推理しても不思議ではありません。なんといっても、正祖が世を去って一番恩恵を受けたのが貞純王后だという事実は大きいのです。何よりも、彼女には一番の動機があったわけですから……。
ところで、正祖の生涯を描いた名作「イ・サン」には毒殺説がまったく出てきません。韓国で「正祖毒殺説」はあまりに有名なのに、なぜイ・ビョンフン監督は毒殺の疑惑を出さなかったのでしょうか。
それは、「イ・ビョンフン監督の作品は、主人公の成長を描くサクセスストーリー」ということが関係しています。苦しい境遇から自分の努力と才覚で成長していく主人公を描くのがイ・ビョンフン監督のスタイルです。しかし、最後が毒殺事件という形で終わると、物語が悲劇で終わってしまいます。そうしたくないという意図があって、イ・ビョンフン監督はあえて毒殺説を取り上げなかったのです。
ドラマ「イ・サン」では、正祖も一度は倒れましたが、なんとか持ち直して執務に復帰しました。その場面を映しながらカメラは後ろにグーッと引いてきて、次の場面になると、もう正祖の息子が王になっていました。つまり、正祖が亡くなる場面はまったく描きませんでした。そのおかげで、ドラマ「イ・サン」は明るい余韻を残して終わることができました。現実の歴史とは大きく違っている、と言わざるをえませんが……。
文=康熙奉(カン・ヒボン)
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