「息子」に込められたニュアンス
韓国で息子のことは「아들(アドゥル)」と言うが、この言葉には「頼もしい」というニュアンスが付きまとう気がする。そう思うには理由がある。息子は一族を継承していく重要な存在だからである。
韓国社会を長く見ていると、息子と娘の育て方に明らかな違いがあると感じる。どう違うのか。
韓国ではどの家庭でも先祖を供養する祭祀があまりに多いが、それを仕切るのは男性だけである。女性はお供え物のご馳走を作るが、祭祀の儀式には関わらない。というより、関われない。それが、朝鮮王朝時代(1392~1910年)から続くしきたりなのである。
つまり、息子は祭祀の仕切りを受け継ぐ正式な後継者となる。それだけ、どの家庭でも大切に育てられる。特に、母親が息子を溺愛する傾向が強い。「息子を舐(な)めるように可愛がる」という言葉が生きているほどだ。そういう点では、「やがて他家に嫁ぐのだから」という意識が働く娘の場合と育て方が異なる。
今は韓国社会も変わってきているし、日本以上の少子化で「息子だから、娘だから」という分け方は顕著ではなくなっているが、それでも息子には「頼もしい後継者」という意味づけが残っている。
そういう観点からいうと、「大韓民国の息子」というニュアンスには、「これから国を引き継いでくれる頼もしい存在」という意味が込められているように思える。(ページ3に続く)