『テバク』歴史解説!鍵を握る男 李麟佐の正体
- 2016/4/13
- 『テバク』
- チャン・グンソク, チョン・グァンリョル, テバク
即位後も収まらない宮中の派閥争い
さて、前ページで当時の朝鮮王朝が2つの派閥に分かれていたことを書いたが、その対立は激化の一途を辿っていく。李麟佐を知るためにも、当時の政治紛争をもう少し辿る必要がある。
1720年、多くの反対がある中、張禧嬪の子が粛宗の後を継いで20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。しかし、王の即位後もそれを認められない臣下が多く、宮中は2つ派閥による対立が激化していった。
1721年8月、反対派の勢いに負けた景宗は、淑嬪崔氏の子を世弟(セジェ=王の弟が後継者になること)に任命した。
こうなると、世弟派の人間たちはさらなる要求を突き付け、病弱な景宗に代わって世弟が代理で政務を行なうように進言するようになった。
景宗の弱気に姿勢に不安を感じたのが、彼を支持した景宗派の臣下たちだ。彼らは弱り始めた権勢を回復する手段として強硬な武力行使にでる。その結果、世弟派は政治の中枢から追いやられ、景宗派が政権を掌握した。
景宗派の勢いは長く続かなかった。神輿である景宗が亡くなったのだ。こうして、世弟が21代王・英祖(ヨンジョ)として即位する。英祖は自分の派閥だけを優遇することなく、景宗派の人間たちも平等に登用する政策を行なうのだった。
(ページ3に続く)