5万ウォン札の肖像画
夫の李元秀は科挙に合格するまで10年間学業に専念したいと言って、家を出て行ったことがあった。しかし、彼はたった数日で妥協して、帰宅してしまう。
その姿を見た申師任堂は、裁縫用のハサミを取り出すと、「夫が夢を簡単に諦めるのなら、私は命を絶ちましょう」と言って、自害しようとした。妻の崇高な気持ちに気付いた李元秀は、大いに反省し、今度は科挙に合格するまで帰宅することはなかった。
子育てや夫の出世を祈る甲斐甲斐しさ、生活に対する倹約ぶり。これらは今もなお高く評価されていて、彼女は「良妻賢母の鑑」「国民の母」として敬われている。
李元秀にとって申師任堂は自慢の妻だった。彼は日頃から彼女の助言にしっかりと耳を傾け、彼女の才能が発揮される機会を作るためにも尽力した。
1551年、李元秀が仕事で地方へ行っている間に申師任堂は47歳で亡くなってしまう。彼女は死の間際にこう語った。
「私が死んでも再婚しないでください。私たちは7人の子をもうけましたから、これ以上増やすことはありません」
申師任堂は、子供たちが新しい母親のもとで苦労させられることを避けたかったのだ。しかし、彼女の願いは、当時の男尊女卑の世界では、なかなか難しい要望といえた。それでも、妻を愛し尊敬していた李元秀は、その言葉を死ぬまで守り通した。
申師任堂は現在、韓国の5万ウォン札の肖像画になっている。彼女は、5千ウォン札の肖像画となっている学者・李珥の母親でもある。母子で紙幣の肖像画になることは、世界でもとても珍しい。
ドラマ『師任堂 The Herstory 』で申師任堂に扮するイ・ヨンエ。彼女がどんな「国民の母」を見せてくれるのか。放送開始が待ち遠しい。
(文=「ロコレ」編集部)
平昌五輪開催の江陵(カンヌン)!ここは申師任堂(シンサイムダン)の故郷