王妃と側室の物語(3)

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天国と地獄を経験した王后

ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后・沈(シム)氏である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後は、まるで奈落の底に落ちたかのようにつらい人生を過ごした。

昭憲王后・沈氏が世宗と結婚したのは13歳のときだった。1418年に忠寧が21歳で4代王・世宗になり、昭憲王后・沈氏は王妃になった。彼女の家は、代々重要な官職に就いてきた。昭憲王后・沈氏はおとなしくてやさしい性格なため、ほかの女性たちの手本となるような存在だった。しかし、上王として政治的な実権を握っている太宗は、王の外戚が力をつけすぎることを警戒していた。

そんな中、昭憲王后・沈氏の父親である沈温(シム・オン)が外交使節として明まで往来していたときに事件が起きた。旅に同行していた実弟がもらした不満が太宗の耳に入ってしまったのだ。謀叛(ムホン)の疑いをかけられた沈温は水原(スウォン)に流され、死罪にされてしまう。そのことが原因で昭憲王后・沈氏の実家は没落してしまい、母親は奴婢(朝鮮王朝時代の最下層の身分)に格下げされてしまった。

父母がひどい目にあったことにショックを受けていた昭憲王后・沈氏は廃妃の危機に立たされていた。彼女の父親である沈温の成功を妬んでいた者たちから「王妃にそぐわないので、宮殿から追い出せ」という声が上がっていた。その決定をするのは太宗である。彼は、昭憲王后・沈氏を廃妃にしてもおかしくなかった。しかし、太宗は彼女を高く評価しており、8人の王子を産んだことを理由に廃妃にはしなかった。

その後、昭憲王后・沈氏は世宗と仲良く暮らしたが、彼女は、父と母には大変な気苦労をさせたことを嘆いていた。昭憲王后・沈氏は1446年に51歳で亡くなっているが、のちに彼女の父と母は復権して名誉を回復することができた。

関連王妃

昭憲王后・沈氏(1395年生~1446年没)

(文=「ロコレ」編集部)

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