第4回/朝鮮王朝と儒教
康「1392年に高麗王朝が滅んで朝鮮王朝ができたときに、仏教寺院が力を持ち過ぎて政治に介入して国が傾いたという歴史があったので、朝鮮王朝は国の教えを仏教から儒教に転換しました。まあ、儒教は宗教というより一種の生活規範ですね」
小原「言ってみれば国民統合の思想です。でも、儒教のルーツは中国で社会規範、人間として当然なすべきことの教えです。今から見ると随分と古風な教えですが、立派な思想を持っています。仏教になると、もうちょっと政治や現実社会の不満をそらす目があるかもしれません。それを悪用するお坊さんもたまには出てきますが……。儒教に関して言えば、日本と朝鮮半島で受け入れ方がどう違ったんですか」
康「徳川幕府も儒教を官学にして、武士階級は儒教をとても重んじました。なぜかというと、儒教は親に対する『孝』や主君に対する『忠』の2つを徹底しますので、徳川幕府で武士階級が統治するには儒教がふさわしいんですよ。ただ、あくまでも徳川幕府では儒教は武士階級だけの教えでした」
小原「一般に言えば、知識階級の素養の1つ。農民たちは仏教のように知識がなくてもシンプルなお経で救われるほうに行くでしょう」
康「朝鮮王朝時代は庶民に至るまで儒教的な教えが浸透していました。結果的に、女性が厳しい立場に置かれました。女性は親の相続権がないとか夫から勝手に離縁されてしまうとか、離縁された後は再婚できないなどいろいろ決まりが多かったのです。これは儒教が持っている男尊女卑の影響が出てしまったわけです。そういう意味で言うと、朝鮮王朝時代の儒教的な教えは、現代の韓国社会にも根付いています。ただ、当然ながら改善しなければいけない問題も多くて、男尊女卑は最たる例です。韓国社会が現代になって女性の地位向上に力を尽くしてきたのは確かです。実際に今、女性大統領の時代になりましたからね」
小原「そうですね。それは、やっぱり儒教の国と考えて意外性が強いのかな」
康「彼女の場合は朴正熙(パク・チョンヒ)の娘だということが大きいですね。一般の家から出た女性が大統領になるのとは当然違います」
(文=「ロコレ」編集部)