第2回/沙也可の里を訪ねて
康「一番印象深かったのは、沙也可(1592年の朝鮮出兵のときに豊臣軍の武将でありながら朝鮮王朝側に味方した人物)の里でした。大邱(テグ)市からタクシーで30分くらいのところにありました」
小原「静かな里で、ポプラの木とイチョウ並木がきれいでしたね」
康「あそこは友鹿里(ウロンニ)と言いましたね」
小原「本当に名前がきれいですよ」
康「のどかな山村でした。沙也可は司馬遼太郎の紀行でも紹介されて日本で広く知られるようになりましたが、朝鮮王朝から金忠善(キム・チュンソン)という名前をもらい、その一族がずっと友鹿里に住んだわけですね。僕らは1999年11月に行きましたが、『山村なんだけど人が多いな』とか『みんな忙しく動き回っているな』という気がしました。しかし、僕が沙也可の話を聞こうと思って当てにしていた人が亡くなっていたんです。ガッカリしていたら、小原さんが『おいおい、大変なことになったよ。今日は沙也可の年に1回の追悼の日だそうだ』と言ったんです」
小原「つまり、年に1回、子孫がみんな集まって墓参りをする日でした。僕らはそれを知っていて行ったわけじゃありませんが……」
康「むしろ、沙也可の話を聞こうと思っていた子孫の方が亡くなっていたので、途方に暮れていたんです。それで『せっかく、ここまで来たのにどうしようかな』と思っていたら、小原さんがその話を聞いてきたのでびっくりしました」
小原「僕は川の写真を撮っていました。そしたら、日本語のわかるおじいさんが現れて『日本の方ですか?』みたいに話になった。そのときに教えてもらったんです」
康「本当に山の中腹に沙也可の墓がありまして、そこに100人くらいいたかな」
小原「男性が中心で、背広を着ている人が多かったですね」
康「沙也可の子孫が韓国全土から集まってきて、儒教的な法事をやっていました。一族会の会長に挨拶をして了解を得て、僕らもその法事に加わりました。僕らも沙也可の墓にお参りして、それが終わった後、墓の前にシートを敷いて宴会が始まったんですよね」
小原「準備されたお供え物がご馳走だった。ヤカンに入った独特のマッコリもあり、あれはビックリしましたね。突然の異次元という時間が一気にそこに収斂(しゅうれん)していくみたいで、土饅頭というか古墳型の草で覆われている墓が印象的でした」
康「ヤカンに入っていて本当に野性的なマッコリがうまかった」
小原「自家製のね」
康「なんか、浮遊物とかもあったりしてね。だけど、鶏肉をつまみにしながらかなり飲みました」
小原「あれは鶏の刺身じゃないの?」
康「違います。あれは韓国でよく食べるのですが、何日も煮込んだ鶏肉です」
小原「なんかタタキにして出してくれましたよね」
康「何日も煮込んだ鶏肉を叩き割るような感じで切り離して、それをつまみにマッコリを飲んだんです。あのときは天気も良かったし、一族の人が『日本からよく来た』と言ってすごい大歓迎してくれて、お供え物のご馳走をどんどん出してくれました。本当に気持ちいい思いをしたし、年1回の日にたまたまめぐりあった幸運と沙也可の一族の人たちが僕たちを迎え入れてくれて、仲間として歓迎してくれたことがとてもうれしかったですね。そのときに料理を作った女性が、大勢の団体の一番端っこにいました。僕は、その人と少し話をして親しくなりました。そしたら、日本に帰った後に手紙をくれたんです」
小原「うん」
康「実は、もともと日本人だった沙也可の子孫ということで、植民地時代以降は周囲からかなり冷たく見られていたそうです。そして、韓国がベトナム戦争に参戦したときは、その女性の息子さんが自ら志願してベトナム戦争に行ったと手紙に書いてありました」
小原「韓国の国家に忠誠を尽くすということを示そうとしたのかな」
康「その手紙を読んで僕が思ったのは、第二次世界大戦のときにアメリカに住んでいた日系の人たちも、自ら志願してヨーロッパ戦線に行ったじゃないですか」
小原「日米の戦争にも加わりましたね」
康「アメリカの日系人は第二次世界大戦のときに、収容所に入れられるなど不当な差別を受けたんですよ。それで、若い人たちが『自分たちはアメリカで生まれているし、忠誠を尽くすんだ』ということで、ヨーロッパですごい果敢に戦って、いろいろと日系人の評価を高めたわけでしょ。僕は、ご婦人から手紙をもらったときに、『沙也可の子孫たちも植民地以降はとても肩身の狭い思いをしていたんだな』と痛切に感じました」
小原「あの女性のことは僕もよく覚えていて、すごく上品な感じのする容姿で、戦前は日本で住んでいたそうです。ところで、朝鮮半島の記録で沙也可は3千人の大将となっていますが、豊臣軍の武将の中で3千人も引き連れて朝鮮王朝側に寝返った人物はいませんよね」
康「3千は相当な数ですからね。もしかしたら数百かもしれない。記録はいろんなところで誇張されますから」
(文=「ロコレ」編集部)