『七日の王妃』主人公の端敬(タンギョン)王后!離縁後の人生は?

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韓国時代劇の『七日の王妃』が面白い。なんといっても、キャスティングがいい。11代王・中宗(チュンジョン)の最初の正室だった端敬(タンギョン)王后をパク・ミニョンが演じている。中宗はヨン・ウジン、そして、中宗の異母兄だった10代王・燕山君(ヨンサングン)はイ・ドンゴンが扮している。この3人は歴史的には、どういう関係だったのか。まず、端敬王后の人物像を見てみよう。

生没年/1487~1557年
夫/11代王・中宗(チュンジョン)
子供/いなかった
父親/慎守勤(シン・スグン:燕山君の側近)

仰天な要求

史上最悪の暴君だった燕山君は、1506年にクーデターで王宮を追放されている。その燕山君に代わって王になったのが異母弟の中宗だった。それにともなって、中宗の最愛の妻だった端敬王后は、朝鮮王朝の「国母」とも称された王妃になった。
しかし、王妃の座にあったのは、わずか7日間だった。それがドラマのタイトルになっているわけだが、なぜ7日間だけだったのか。
原因を作ってしまったのは中宗であった。
それは何なのか。




実は、クーデターを成功させた高官たちは、中宗に仰天な要求を突きつけてきた。
「妻と離縁してほしい」
とんでもない要求だ。
もちろん、中宗はきっぱり断れば良かった。絶対権力者の国王なのだから……。
しかし、彼にはできない事情があった。
(ページ2に続く)

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